
前回までのあらすじ
カグラに連れられ、ネオンの繁華街で「売られる仔犬たち」の現実を見たオレオ。貨物列車の三両目、窓が少しだけ開いた車両に飛び乗り、北へ、被災地へと向かう。
本編
貨物列車は、夜のあいだ、ずっと暗いトンネルの音を立てていた。
オレオは、積まれた木箱と木箱の隙間で、小さく丸まっていた。段ボールの中には知らない果物の匂いがして、揺れるたびに、遠くへ、遠くへ、運ばれていくのを、肉球で感じた。
眠ってはいなかった。
目を閉じると、ガラスの向こうの仔犬の、黒々と小さな目が浮かんだ。きっと、助けに戻ってくるから。あの約束を、今は背中に括りつけて走る。
やがて、貨物列車は、ゆっくりと速度を落とし、知らない駅にとまった。

夜明け前の、うす紫の空気。
オレオは、窓の隙間から、被災地に降り立った。
覚悟していた。
焼け野原。崩れたビル。鳴き声ひとつしない、がらんとした世界。噂のジークライオンが、四つ足で街を蹂躙している光景を、頭のどこかで勝手に描いていた。
でも、オレオの目に映ったのは。
トンカン。コンコン。ギコギコ。
瓦礫の隅に組まれた木の足場。そこに板を運ぶ柴犬。釘を口にくわえて運ぶリス。屋根の上で糸を張るカラスたち。小さな仔ネズミまでが、自分の背丈ほどもある麻ひもを、両前足で引っ張っていた。
そして、仮設の集落のまんなかに——「コーヒーあります」と墨で書かれた看板。
空気は、焦げていなかった。
味噌汁と、湿った土と、切りたての木材の匂いがした。どこかで、小さな子猫が、じゃれあって笑う声がした。笑う、という声が、この世界にはまだ残っているのだと、オレオは、自分でも意外なくらい安心した。

「——うぉーい!! そこの坊っちゃーん!!」
突然、真後ろから、太く明るい声が飛んできた。
振り向くと、鼻ぺちゃの、茶色い、ずんぐりした犬が、足を短く動かして全速力で駆け寄ってきていた。舌をだらんと出し、耳をぴょんぴょん揺らしている。よく見ると、首に小さな工具袋を下げている。
「んぐ、はっ、はっ、——はじめまして!! ぼく、タルト!! 見ない顔だね、坊っちゃん、観光?!」
観光、という単語が、被災地という土地にあまりにも似合わなくて、オレオは一瞬、言葉を失った。
「……観光、じゃ、ないよ。オレオ。探しものがあって、都会から来たんだ」
「おおー!! 都会の猫ちゃん!! オレオくん、オレオくん!! じゃあまず朝ごはんだよ、ね?!」
タルトの言葉には、疑いがなかった。
——ない。まるで、ない。
オレオが、あの街で一晩かけて少しずつ剥がしていった警戒心の皮を、タルトは三秒でふっとばした。
「まって、タルト。ひとつだけ、先に、聞きたいことがあるんだ」
オレオは、ぐっと肉球を地面に踏みしめた。夜明けの風が、被災地の芝生を渡って、小さな背中にしみた。貨物列車の夜のあいだに、すっかり冷えていた体が、ぶる、とひとつ震えた。
タルトが、目ざとく気づいた。
「坊っちゃん、寒いの?!」
タルトは、くるりと踵を返した。短い足でぱたぱたと集会所のほうへ駆けていき、小さな木箱を、口の縁で器用に押しながら、また戻ってきた。
中から取り出したのは、紺色の、ぶ厚い布の切れ端だった。
タルトは、その布を、オレオの目の前で、丁寧に、ひろげた。
布の隅に、子どもの稚拙な手で、毛糸の刺繍がしてあった。「ハル と かぞく」と、ひらがなで縫われていた。さらに、もう一方の角には、毛糸で編まれた、小さな星。
タルトは、その星を、優しい鼻先で、つん、と、触った。
「これ、ちょっと前に、瓦礫の下で見つけたの!! 人間の、小さい子のジャケットの、切れ端!! ぼく、鼻はきくから、血の匂いはしないって、ちゃんと確かめたよ!! だから、だいじょうぶ!!」

タルトは、その布を、オレオの小さな背中に、器用に回した。首と前足のあいだで、ちょん、と結ぶ。紺色の裾が、ちょうどマントみたいに、オレオの後ろ足まで届いた。
——その瞬間。
オレオは、自分の背中が、思っていたよりも、ずっと、軽く感じた。布の重みと、毛並みの体温が、馴染んだはずの瞬間に、すうっと、ほどけていくような。肉球の下の地面の感触まで、ほんの少し、変わった気がした。雲の上に、ふわりと立っているような、ふしぎな浮き方だった。
「ね!! かっこいい!! 旅の猫って感じ!!」
オレオは、後ろを振り返った。紺色の布は、朝風に、ふわ、と小さくはためいた。いままで、首輪の鈴の音しか知らなかった自分の後ろで、ちがう種類の音がしていた。布が、風に、鳴る音だった。
「……ありがとう、タルト」
「ぼく、捨てられないんだ、そういうの」タルトは、ふん、と鼻を鳴らした。短い尻尾が、ぱた、ぱた、と振れた。「人間の、小さい子が、だいじに使ってたはずの布だからさ。次に大事にしてくれる子に、回したくって、ずっと持ってたんだ」
タルトは、そこで、ふと、丸い目を、細めた。丸い鼻先が、なにかを思い出すように、ぴくり、と一度、動いた。
「——これね、ぼくの感じだと、もうひとつ、似たやつがあるんだよ。海辺の——」
タルトは、そこで、言葉を、切った。垂れた耳が、また、ぴくり、と一度、動いた。けれど、それ以上は、なにも、言わなかった。
「血の匂いは、ほんとうに、しないんだ。ただ、誰かを、大事に思ってた匂いだけ、残ってる」
「ジークライオンって、知ってる?」
タルトの丸い目が、ぱあっと明るくなった。
「あいつ!! うん、知ってる知ってる!! いい奴だよ〜!!」
オレオの世界が、ひと拍、止まった。
「……いい、奴?」
「うん!! めっちゃいい奴!! 今、ここの復興を仕切ってるリーダー!! 筋肉むきむきで、怒るとものすごく怖いんだけど、人前で泣くんだよ!! こないだなんか、仔猫を拾ったとき、ぼろっぼろ泣いちゃって——」
タルトの言葉は止まらなかった。
オレオの耳のおくで、ビスコの低い声がリフレインした。
——風の便りが、ずっと同じ名前を運んでくる。
風の便りは、嘘をつくのだろうか?
あるいは、嘘を、誰かがついているのだろうか?
「タルト」
オレオは、タルトの目をまっすぐ見た。
「ぼくを、そのジークライオンに、会わせてほしい」
タルトは、短い尻尾を千切れんばかりに振った。
「おまかせ!! ちょうど今日は、ライオン、集会所にいるよ!! みんなに紙芝居を読んであげる日だから!!」
紙芝居。
オレオは、もう一度、自分の記憶を疑った。
朝日が、仮設集落の屋根のひとつに、まっすぐ射し込んだ。
そのとき、線路のほうから、もう一本、貨物列車のブレーキ音がした。オレオの耳が、ぴくり、と立った。
——濡れた段ボールと、夜の貨車と、よく知っている、低い、乾いた毛並みの匂い。
「——遅くなった」

軒の影から、ゆっくりと、痩せた茶トラが歩み出てきた。ビスコだった。あばらは前より少しだけ浮いていたが、欠けた左耳は、夜明けの光のなかで、迷いなく、こちらを向いていた。
「保護施設の網戸も、人間が、たまに、鍵をかけ忘れる」
ビスコは、短く、それだけ言った。
「わたしも、確かめに来た。約束だから」
オレオの背中の紺色のマントが、朝風に、ひと揺れした。タルトが、丸い目を、まんまるに開いた。
「お友だちっ?!」
「うん」と、オレオは答えた。「いちばん、最初の」
遠くで、低い、腹に響く、けれど笑うようにやわらかい声が、ひとつ、響いた。
「——こほん。では、はじめるとするか」
オレオの毛が、ぞわりと逆立った。
それは、ほんとうに、ライオンの声だった。
そして、集会所のほうから、小さな動物たちの、きゃっきゃっという歓声が、朝の光に混ざって聞こえてきた。獰猛な王の登場を待つ声——には、どうしても、聞こえなかった。
次回予告
紙芝居を読むジークライオン。集まる子どもの動物たち。噂と、現実の、あまりにも違う姿——オレオが対峙するのは、獰猛な敵か、それとも、もうひとりの被害者か。
次回『第5話 獅子の真実』。 すべては、反転する。
オレオの旅のおとも🐾
災害は、人間だけでなく、動物たちの暮らしも奪います。被災地でがんばるタルトたちを、遠くから支える方法があります。
【リベ大アニマルレスキュー】— どうぶつの殺処分をゼロにする。
みなさんからの寄付を募っています。是非覗いてみてください。
📖 **連載『テイルズ・オブ・オレオ』全10話・毎週土曜20時更新。** 次回、中盤の大きな転換点です。


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