
前回までのあらすじ
被災地に到着したオレオは、瓦礫を運ぶ動物たちと、陽気なフレンチブルドッグ・タルトに出会う。タルトいわく「ジークライオン? あいつはいい奴だよ」。紙芝居を読む低く優しい声が、集会所から朝日と共に響いていた——。
本編
集会所は、板張りの、天井の低い建物だった。
元は小学校の体育倉庫だったのかもしれない。色褪せたマットが敷かれ、その上に、動物の子どもたちが、お行儀よく並んで座っていた。子犬、子猫、仔リス、仔ハリネズミ。しっぽが長いのも、短いのも、ぴこぴこ揺れているのも、ぴたりと止まっているのも。
そして、その正面に——いた。
オレオの知っているどんな犬よりも大きく、どんな馬よりも太い。夜の闇を編み込んだような、黒いたてがみ。盛り上がった肩の筋肉。前足は、オレオの胴体よりずっと太い。
けれど。
そのライオンは、折り紙の小さな舞台の前で、膝を折って座り、前足の爪の先で、紙芝居の札を、ものすごく慎重に、一枚、一枚、めくっていた。

「——こぐまくんは、ひとりぼっちでした」
ライオンの声は、腹の底に響く、たしかに獣の声だった。けれどその声には、うんとゆっくり、うんと丁寧に、言葉を届けようとする気配があった。
子どもたちは、しんと聞き入っていた。途中で、仔ハリネズミが「こぐまくん、かわいそう!」と泣き出した。ジークライオンは、紙芝居を止めて、その仔ハリネズミのところへ這って行き、自分の太い指先で、つんつん、と優しく背中をなでた。
「だいじょうぶ。だいじょうぶだよ。こぐまくんには、このあと、ちゃんと仲間ができるからね」
オレオの胸の中で、なにかが、すとん、と音を立てて落ちた。
——違う。
この獅子は、動物をさらうものじゃない。
紙芝居が終わると、ジークライオンは、集会所の外に置かれた木の切り株に腰を下ろした。子どもたちが次々と背中にのぼり、たてがみを三つ編みにしようとし、耳をひっぱり、鼻の上で昼寝を始めた。

「——ぼく、オレオ、っていいます」
オレオは、大きな前足の横に、小さく座った。
「都会から来ました。あなたが、動物をさらって、暴れまわっていると、聞いて」
ジークライオンは、ほんの一瞬、目を閉じた。
目を開けると、その瞳は、悲しいような、しかし怒ってはいない色をしていた。
「——その噂は、もう、ずいぶん長くなる」
声が、低く、震えた。
「おれは、もとはサーカスの見世物だった。狭い檻で、ずっと、曲芸を覚えさせられていた。ある夜、嵐で檻の鍵が壊れて、そのまま逃げた。——この地に流れ着いたのは、その日から三年後だ」
ジークライオンは、自分の太い前足の爪を、じっと見た。
「三年のあいだ、山に隠れて、河原で眠って、誰とも目を合わせなかった。ライオンを見た人間は、みんな、怯えた。おれも、人間が怖かった。お互いに怯えあう三年だった」
「おれは、こいつで人間を殴ったことがない。殴れと言われて、殴らなかったから、サーカスで干されたんだ。動物をさらうなら、おれのこの爪は、もっと汚れている」
オレオは、じっと聞いていた。たしかに、ジークライオンの前足は、どこにも血の匂いを帯びていなかった。爪のあいだに詰まっているのは、木の切り粉と、誰かがこぼした粉ミルクと、小さなクレヨンの蝋だけだった。
オレオは、しばらく聞いてから、ふと、訊いた。
「ジークライオンって——本当の、名前?」
ジークライオンの琥珀の瞳が、ほんの一瞬、遠くを見た。それから、低く、笑った。獣のため息のような、笑い方だった。
「——本当の、と言えるかは、分からん。おれが、自分で選んだ名前だ」
「もとは?」
ジークライオンは、答えなかった。たてがみの黒に、朝日の金色が、ほんの一筋だけ、刺さった。
「サーカスでは、強そうな名前が、必要だった。勝利の獅子、と書かれた看板の前で、おれは、毎晩、芸を披露した」
「けれど、おれは、なににも、勝っていなかった。鎖と、ガラスの檻と、人間の鞭に、ずっと、負けていた」
ジークライオンは、ふっと、声を落とした。
「逃げた夜、おれは、檻の名札を、自分の歯で噛み切った。——けれど、その夜、雨に打たれながら、おれが、口の中で、何度も繰り返したのは、ジークライオン、だった」

「呪いみたいに、こびりついていた。——だから、決めた。呪いを、おれの名前にしよう」
「それで、誰にも、貸さない名前になる」
「——もう、人間が、おれを、呼ぶための名前じゃない」
オレオは、しずかに、息を吐いた。
——動物には、自分の名前を、自分で選ぶ自由が、ない。そう知った夕暮れから、まだ、たいして時間は経っていない。
けれど、目の前の獅子は、自分の名前を、もう、自分で、選び直していた。
「じゃあ——なぜ、そんな噂が」
「流している奴らがいる」
ジークライオンは、空を見上げた。
「ここの復興が軌道にのると、困る奴らだ。被災地には、助けが必要な動物たちが、たくさん集まる。そいつらを、『商品』として引き抜いて売りさばいているやつらが、別の場所にいる。おれが復興のリーダーをやっていると、そいつらのシノギが、やりにくくなる」
ジークライオンは、一度、言葉を切った。太いたてがみの奥で、なにかが、ほんの少しだけ、しずんだ。
「——それと、おれ自身のことも、ある」
子どもたちが、不思議そうに、ジークライオンを見上げた。
「おれは、この被災地に流れ着く前に、大勢を助けようとして、助けきれなかったことがある。河原に集まった、行き場のない動物たちだ。その動物たちを狙う悪い奴らから、ひとつの命を、おれは、守りきれなかった」
オレオは、息を飲んだ。
「その子のことは、おれは、いまでも忘れていない」ジークライオンの声が、ほんの少しだけ、ざらついた。「噂というのは、ああいう『悲劇の瞬間』から、少しずつ、生まれるものなのかもしれん。——おれを悪者だと言う風の便りの、ほんの最初のひと吹きは、——あの夜、おれの中にあった、ほんのひと呼吸の迷い、だったのかもしれん」
——風の便りは、誰かが、つくる。
オレオの耳の奥で、ビスコの乾いた声が、もう一度、響いた。
「ジークライオン」
オレオは、背中を低くし、真っ直ぐに言った。
「その『やつら』を——見に、行きたいです」
ジークライオンの隣で、タルトが、どん、と前足を地面に打った。
「ぼくも行く!! 行く行く行く!!」
ビスコは、欠けた左耳を、ぴく、と一度だけ動かした。
「——わたしも、行く。これを、確かめに来たから」
ジークライオンは、ふっと、口の端をほころばせた。笑顔にしては、目尻が濡れすぎていた。太い指の背で、その雫を、ぐい、と拭った。子どもたちが、その動きを不思議そうに見上げていた。

「——おまえたちの旅に、風の便りの一つを渡そう。次に行くべきは、譲渡会と、闇市だ。どちらも、近い。どちらに向き合えるかで、この世界の景色は、まるで違って見える」
ジークライオンは、そこで一度、空を見上げた。たてがみの黒に、朝日が、ほんの少しだけ、刺さった。
「——その先には、海辺がある。次の風は、海辺だ。あそこは——おれが、行けなかった場所だ」
ビスコが、低く、訊いた。
「ジーク、——あんたは、ここに残るのか」
ジークライオンは、しばらく、答えなかった。それから、ふっと、口の端をほころばせた。
「——いや。おれも、行く。紙芝居は、ここの古株のばあちゃん犬に頼んでおく。あいつのほうが、おれより、ずっと、声が、やさしい」
「ただし、おれは、人間側のヤスミに連絡をつけてから、後を追う。おまえたちは、先に、譲渡会を見ておけ。——闇市の入口で、合流しよう」
それ以上は、ジークライオンは何も言わなかった。ただ、口の端を、すこしだけ、引き結んだ。
朝日が、三つのしっぽを、金色に染めた。
次回予告
ジークライオンに送り出された三匹が次に訪れるのは、希望に満ちた保護動物譲渡会。「買う」ではなく「迎える」家族の姿が、そこにあった。けれど——会場の片隅で、オレオの耳はある異音を拾う。
次回『第6話 いい出会い』。 命が、命を選ぶのではなく、命が命と出会う場所へ。
オレオの旅のおとも🐾
大きな体に、やさしい心を抱えたジークライオン。強さとやさしさは、両立できる。動物たちの健康を支える「中身」も、また、強さの一部です。
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📖 **連載『テイルズ・オブ・オレオ』全10話・毎週土曜20時更新。** 後半戦は「希望」と「告発」が交互に打ち寄せます。


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