
前回までのあらすじ
紙芝居を読むジークライオンの真実を知ったオレオ、ビスコ、タルト。噂を流した「黒幕」——動物を『商品』として売りさばく勢力が近くにいることを告げられ、三匹は被災地を発つ。次なる目的地は、譲渡会と、闇市場。
本編
譲渡会の朝は、空がとても広かった。
町はずれの大きな芝生の広場。ブルーシートと白いテントが、風に小さく鳴っていた。「保護動物と出会う日」という大きな手書きの看板の隅には、小さく「主催:ヤスミアニマルレスキュー」と添えられていた。首輪の色で種類を分けられた犬たち、静かなキャリーの中の猫たち、そしてプラカードを首から下げたボランティアの人間たち。
「プラカード、読める?」
ビスコが、オレオの耳の横で、ぽつりと尋ねた。
——被災地を出る前、ビスコは、少し痩せたままだったが、目の光は強くなっていた。ジークライオンに会ってから、何かの氷が、彼の中で溶けはじめたようだった。
「うん、読めるよ」

「全部、『譲渡費用のみ』って書いてある。売ってるわけじゃない」
「……売ってない?」
「『譲渡費用』ってのは、人間が、その子のために、これまで使ったお金を、ほんの一部だけ、新しい家族にも、分けてもらうっていう、そういう仕組みらしい。売り買いじゃない」
オレオは、看板の下に座っている保護犬を、じっと見た。尻尾の先の毛が、少し薄くなっている中型犬。痩せぎすだが、人間の子どもが近づくと、ぴたりと動きを止めて、そっと地面の匂いを嗅がせた。怖がらせないように動いていた。
そこへ、小さな女の子が、お母さんの手を引きながらやってきた。女の子は、犬の前にしゃがみ込み、目線を合わせた。
「——しょう、くん」
プラカードの文字を、女の子は、指でなぞった。
「しょうくん、うちに来てくれる?」
しょうくん、と呼ばれた犬は、しばらく動かなかった。それから、ゆっくりと、たった一度だけ、しっぽを振った。
お母さんが、女の子の肩に、そっと手を置いた。
「……いいの? あの子のこと、まだ——」
「だいじょうぶ」女の子は、しょうくんから目を離さずに、言った。
「あのね、ママ。しょうくんは、しょうくんだもん」
女の子の目から、ぽろ、と大きな粒が落ちた。お母さんも、両手で口を覆って、黙って涙を流した。

「……うん」と、しょうくんが、オレオたちの言葉で、呟いた。「うん、行くよ。その子の家に」
オレオの胸の奥で、なにかが、熱くなった。
心が、揺れた。
なぜ揺れたのか、自分でも、よく、分からなかった。
ふと、隣を見ると、ビスコの欠けた左耳が、ぴく、と一度、揺れていた。
目尻が、ほんの一瞬、ゆるんだ。
それから、ふっと、ビスコの視線は、芝生の遠くを、見た。空にも、似た、遠さだった。
ビスコは、何も、言わなかった。
犬も猫も、鳴き声では返事をしない。いちばん静かな、尻尾の、いちばん小さな動きで、「行きます」と答える。それが、おそらく、動物たちが人間を選ぶ、唯一の方法だった。
芝生の隅で、順番待ちをしている別の保護犬は、家族が見つかった子を、じっと見つめていた。羨ましそうではなかった。こちらも、いつか、誰かと目が合うと信じているような、静かな瞳だった。
「なあ」
タルトが、鼻先でオレオの横腹をつついた。タルトの鼻が、ぴくぴく、と、風上に向かって、せわしなく動いていた。
「あっちのテントの隅っこ、ぼく、気になる。風が、ちょっと、にがい」
タルトが示したのは、会場のいちばん奥、他のテントとは少し離れた、小さなグレーのテントだった。「健やかな子犬たちに、新しい家庭を」と、印刷された看板が、テントの上に、ぴんと、きれいに張られていた。他のテントの手書きのプラカードは、字の傾きや、色のかすれが、すこしずつ違っていた。けれど、このテントの看板だけは、まるで——どこか別の場所で、たくさん刷られたうちの一枚、のような顔をしていた。
テントの奥には、透明なケースが、行儀よく、いくつも並んでいて、その一つ一つに、毛色の違う子犬が、ひとりずつ、入っていた。
——オレオの背中の毛が、ぞわ、と、逆立った。

前に、見た。
夜の繁華街の、ガラスの店。縦に三段、横に五つ。ひとりずつ、並べられていた、あの仔犬たちと——同じ並び方だった。
「情が移ったら、値段をつけられない」
カグラの、低い声が、耳の奥で、もう一度、響いた。
そのテントの裏に止まっている軽トラの荷台には、青いペンキで「南行き」と書かれた小さなプレートが、ぶらさがっていた。他の業者のラベルは、たいてい地名だった。「○○市内便」「□□区行き」。南行き、だけが、行き先の名前を持っていなかった。
「——あれは譲渡じゃない」ビスコが、目を細めた。「紛れ込んでる業者だ」
タルトの鼻が、ぴくりと動いた。
「匂いが、違う」タルトは、眉間にしわを寄せた。「ぼく、犬だから、わかる。あのテントの子犬たち、母親の匂いが、全員、同じじゃない。それなのに、全員、体臭が同じ。——同じ消毒剤で、一斉に洗われてる」
しんと、芝生の片隅の空気が、三匹の肩越しに、重くなった。隣のテントで、家族と出会った犬の尻尾が、いままさに、ゆっくりと左右に振られている。その明るい色と、いま嗅ぎとった匂いの対比が、かえって、残酷だった。
三匹は、しばらく黙った。
希望に満ちた芝生の片隅に、ぜんぜん違う色の風が、ひそかに吹いていた。広場の反対側では、ボランティアの人間が、譲渡が決まった保護犬の首輪に、新しい迷子札をつけていた。カチ、と小さな金具の音がした。その音は、オレオの首輪にも、かつて、鳴ったはずの音だった。
「——あとをつけよう」
オレオが、低く言った。
「あのテントが、夕方、どこに荷物を運ぶか」
ビスコの、細く冷たい瞳の奥で、小さな火が、ぱちり、と音を立てた。
昼は、希望。夜は、告発。
譲渡会の青空の下で、三匹は、そっと、立ち上がった。
次回予告
「業者」のテントを追跡した三匹が辿り着いたのは、郊外の倉庫街、その地下に広がるペット競売所。麻袋、値札、囁く声——命が「モノ」として流通する、闇の市場。
次回『第7話 闇の市場』。 小さな身体だからこそ、できることがある。
オレオの旅のおとも🐾
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📖 **連載『テイルズ・オブ・オレオ』全10話・毎週土曜20時更新。** 次回から、物語は告発パートに入ります。




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